「本願寺道路終点の碑」。

(あしあと その110・豊平区の5・平岸の2)

先週末、天気も良かったので家の近くの碑を訪ね歩きました。場所は、地下鉄澄川駅から歩いて約5分ほどのところにある天神山です。ここは私の子供のころからよく行っていた遊びスポット。山というよりも小高い丘といった形容がふさわしく、平岸通に面した斜面には古くから市民墓地となっています。天神山の呼び名は、山の北東に平岸天満宮が祀られていることに由来するそうです。私としては、天満宮よりも山の頂にある相馬神社の方がなじみがあります。

その天神山の東斜面にある澄川墓地。その敷地の平岸通に面した東南の一角に石碑が建てられています。これが「本願寺道路終点の碑」です。

東本願寺道路については、以前にもこのブログで紹介したことがありますが、ここはその終点の地。東本願寺の門徒を中心に蝦夷に先住していたアイヌを動員し、太平洋側の伊達市から峻険な中山峠を越えて簾舞を経由し、ここ平岸までの距離をたったの1年3か月ほどで完成させました。それを記念して建てられた碑がこれです。

碑面には「本願寺道路終点」と大きく刻まれた横に「札幌別院輪番鷲山五男書」と刻まれ、さらに碑の裏には次のように刻まれています。

「本願寺道路は、明治三年東本願寺現如上人北海道新道として伊達市(現)尾去別に起工。翌四年十月にこの地に至り、平岸街道と結ぶ。

里程二十六里十町五間、虻田街道、有珠新道とも呼ばる。

昭和五十五年九月建之 平岸開基百拾年記念会」

また碑の横にも説明板が掲げられており、それには

「本願寺道路終点の碑

平岸開基110年を記念して、昭和55年11月に建立。明治3年7月、伊達市オサルベツで起工し、翌4年10月、平岸まで完成した道路の終点を明確にした碑である。この道は札幌が他と通じる初めての道らしい道で本願寺道路と呼ばれた。」

と記されています。

この道は、現在の国道230号の原形となった道路ですが、明治4年にこの道路が開通して間もなく室蘭街道が完成して交通の主役を奪われ、その後人馬も途絶えて荒れるままになっていました。現在その古来の姿が見られるのは、簾舞に残された一部を残すのみとなっています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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