「精米所(水車小屋)跡」。

(あしあと その144・豊平区の16・水車町の1)

豊平川に架かる南7条橋を豊平方向に渡ると、跨道橋のように道路下を市道が南北に交差して走っています。南側の歩道のその部分から下を見下ろすと、小さな公園が見えてきます。その公園は、水車町1丁目にある水車町公園です。

公園の中に入ると、説明板が建っているのがわかります。それを読むと、この公園の場所が「精米所(水車小屋)跡」であることを示しています。説明板には、一部の文字がはがれていますが、

「水車川は、水車町5丁目で豊平川から分かれ、水車町公園を抜けて再び豊平川と合流していた。明治30年代から、川辺には水車小屋が並び精米を行っていた。大正末には7カ所ほどあった。」

と記されているのが読み取れます。

水車は産業振興の原動力となり、精米をはじめとしていろいろな作業に活用されました。現在は水車川は暗渠化され、跡地は遊歩道として整備されています。水車町公園はその起点になりますが、公園から50メートルくらい南に説明板が建てられています。

説明板には、次のように記されています。

「水車町遊歩道の由来

明治30年頃、水車町5丁目より豊平川の分流となって、精米等の動力源として活躍した水車川の水車は大正12年頃には稼働を止め、川は単なる流れに変わった、更に昭和41年潅既(漑)用の用途が廃止となってからは、近域の家庭排水が環境汚染に繋がり、地区の下水道が完備される昭和53年迄実に12年に及ぶ陳情の末、ようやく遊歩道として学童の通学路に生まれ替わる事が出来た。この度水車町公園との連帯感を計り、人々に『潤いのある憩いの場』として、再整備を行う。

平成10年9月22日 豊平第14分区町内会」

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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