「日本近代酪農発祥の地-宇都宮牧場跡」。

(あしあと その257・白石区の7・菊水の4)

白石区菊水の1条4丁目にある菊水やよい児童会館。先に紹介した「旧国鉄東札幌駅周辺の工場地帯跡」の説明版があるやよい公園といい、菊水には「やよい」という名前と結びつきが深いようです。

この会館の敷地に沿って巡らされた柵の歩道際に、「白石歴しるべ」の説明版が建てられています。

説明版には「日本近代酪農発祥の地-宇都宮牧場跡」と題され、「上白石にあった宇都宮牧場の模範牛舎とサイロ(大正3年撮影)」の説明のある写真と、「開設当初の宇都宮牧場の位置」と題された地図が記されています。その説明板には、

「明治35年(1902)から昭和2年(1927)までの25年間、ここに広さ20㌶の宇都宮牧場があった。

大分県生まれの宇都宮仙太郎は、明治18年に牧場経営を志して北海道に渡った。札幌県立真駒内牧場での実習で不足な分は英語の文献を読み、さらに理解を深めるためにアメリカに留学した。帰国後の明治35年に上白石村(今の菊水1~3条3~5丁目、東札幌1~2条1丁目付近)でサイロなどをもつ本格的な牧場を開き、近代的な飼育、牛乳販売、バター製造などを開始した。

民間人初の種牛輸入による品種改良、共同組合方式の資材調達、本格的なバター製造など、どれ一つとっても時代の先端をいくもので、日本の近代酪農の基礎を築いた。仙太郎は全国から慕って来る後継者を育て「日本酪農の父」と呼ばれ、アメリカに留学してホルスタインの品種改良に務めた長男の勤は「日本ホルスタインの父」と呼ばれた。」

と記された文面に、宇都宮仙太郎の肖像写真が添えられています。

仙太郎は、20歳の時に来道して牧畜業を目指し、渡米して大学に通って理論を学ぶなどにより勉学に励みました。帰道後は自ら牛乳を配達し、民間で初めてバターを製造するなど、生涯をかけて酪農の普及に尽力しました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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