(あしあと その261・白石区の11・本通の2)
「白石村行政発祥之碑」がある白石まちづくりセンター白石会館の同じ敷地内に、「白石歴しるべ」の説明板が建てられています。
それには、「大正時代の白石村役場」と「札幌市に編入された当時の白石村役場。建物は昭和4年に建てられた」と添え書きのある写真2枚と、「白石村役場跡」と題された次のような説明が記されています。
「ここに、明治35年(1902)から昭和47年(1972)までの70年間、白石村役場の建物があった。
白石村開村(明治4年・1871)当初の役場は戸長の佐藤孝郷宅で、会議には隣の善俗堂(白石小学校の前身)が使われた。
明治13年(1880)に白石村外四カ村(白石・豊平・上白石・平岸・月寒)戸長役場が上白石村に置かれ、後に白石村3番地に移された。明治15年に開拓使が廃止されて函館・札幌・根室の三県時代となり、戸長役場は豊平村に移された。明治35年には白石村と上白石村が合併し、役場をこの標示板のある白石村47番地に置いた。
この場所は、開拓移民の佐藤孝郷たちが開拓地選定のために見渡した記念すべき場所である。
昭和25年(1950)に白石村は札幌市と合併し、村役場の建物は白石支所として使われた。昭和47年に札幌市は政令指定都市となり、区役所が設置されたために旧村役場の建物は解体された。」
この場所から、白石の歴史の歩みが始まったことがわかります。
0コメント