「鈴木レンガ工場跡」。

(あしあと その397・白石区の24・平和通の4)

平和通6丁目のビルの敷地に、「鈴木レンガ工場跡」を示す説明板が立てられています。

説明板に左側には、「左後方に「のぼり窯」がみえる鈴木レンガ工場」と題された白黒写真があり、その右には次のような説明が記されています。

「鈴木レンガ工場跡

白石の煉瓦場(明治・大正時代の呼称)のはじまりは、明治15年(1882)、駒沢小平がレンガに適する褐色の粘土を、現平和通6丁目北あたりで発見してからで、翌16年、遠藤清五郎の「遠藤煉瓦製造場」が2万個製造したと報告されている。

「鈴木煉瓦製造場」の初代、鈴木佐兵衛は東京生まれで明治15年9月渡道し、この地で明治17年7月(又は6月)工場を建設して、鉄道用レンガを製造したとの記録がある。

窯は❝のぼり窯❞で、燃料は付近の樹木を充てたので、土地が開け人口も増えると同時に、開拓者にとっては恰好の稼ぎ場となり、レンガは白石の忘れられない産業となった。

そのレンガは、道庁、ビール会社、五番館等赤レンガの建物や鉄橋、そして東京駅にも使用された。

またこの工場では屋根瓦、甕や土管なども生産していた。

明治30年(1897)に、鈴木煉瓦製造場は白石村や月寒村に分工場を設立したが、明治31年、野幌に北海道炭礦鉄道㈱の大煉瓦場の建設やセメントの出現等で閉鎖された。」

札幌の主要産業となった白石のレンガは、道内だけでなく遠く東京にも運ばれて都市の基盤を作り上げました。鈴木煉瓦工場の閉鎖後も経営者が変わって事業が引き継がれ、昭和26年ごろまでレンガの製造は続けられました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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