「白石神社」。

(あしあと その551・白石区の36・白石神社の1)

国道12号の本通15丁目北の交差点に恵佑会札幌病院がありますが、その歩道の角に「白石区総鎮守白石神社」と記された小祠を象った塔が建てられています。

すぐそばに建てられた説明板には、

「白石神社

明治4年(1871)に入植した旧仙台藩白石城主片倉小十郎の元家来とその家族たちは、わずか20日間で家を建て、村を完成させた。次に真っ先に臨んだのが開拓の守り神として神武天皇を祭ることだった。

さっそく翌5年3月、村の最も奥の左50番地横の180㍍四方の土地に神社を建てたいと開拓使に願い出た。集会を行う善俗堂や札幌へ行くことはあっても、村の端に行くことは少ないので、神社を村の端に建て、祭のときは全員で集まることにしたのだ。

「神武天皇を祭るのは認めないが札幌神社の遙拝所ならばよい」と開拓使の許可が下り、札幌神社の旧社殿を譲り受けて移設した。鎮座祭は明治5年5月15日、開拓使判官の岩村通俊から譲り受けた神武天皇陵の砂を御神体として行われた。村人はこの遙拝所を陰で「神武社(じんむやしろ)」と呼んだ。

明治30年9月10日、社殿を建て直して名称を白石神社に改め、例大祭を9月11日と定めた。社殿は何度か火事で失い、現在の社殿は昭和41年に建て直したものである。」

と記されています。

ここに記された白石神社は、塔のある場所から北に向かって約50メートルほど進んだ白石藻岩通に面して建てられており、鬱蒼とした木々に覆われた境内が広がっています。

旧仙台藩は、新政府軍に抵抗して逆賊とされ、敗戦後は多くの武家が北海道開拓に入植して開拓に従事しました。岩村判官は、彼らが北海道開拓に尽力して天皇に忠誠を誓う姿に感動し、お守りとして身につけていた神武天皇陵の砂を白石村守護産土神(うぶすなのかみ)として与えました。白石村民は、その厚意に感謝して神武天皇を祭ることを諦めて札幌神社遙拝所として社殿を建てることに同意しましたが、それが白石神社として再建された明治30年まで陰で「神武社」と呼んでいたそうです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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