「忠魂碑」。

(あしあとその578・北区の62・新琴似神社の13)

新琴似神社の境内にある「忠魂碑」。先に紹介した「拓魂」碑の西側に並んでいます。札幌軟石でできた台座の上に、自然石でできた碑が置かれています。碑面には大きく「忠魂碑」と刻まれています。

上台石の周囲には、「明治三十七八年戰役出征者」として、叙勲された等級とともに多くの氏名が刻まれ、最後に「外四拾七名」と結ばれています。中台石の周囲には、寄附者として「公有地小作人一同 外百九名」として多くの氏名が刻まれています。

碑の背面には、「明治三十七八年役戰歿」と大きく刻まれ、さらに「陸軍大将正三位子爵大迫尚敏書」と添えられています。

さらに、碑の背面に平らに削られた部分があり、そこには文字が少し判読しにくいですが、戦争で命を落とした7人の階級と氏名が刻まれています。

明治37年から38年にかけては日本とロシアの間に日露戦争が勃発し、新琴似兵村からも多くの若者が出征していきました。この碑はそれを記したもので、出征者86人のうち7人が戦死したことを伝えるとともに、その霊を慰めています。

資料によると、この碑は以前は社殿横に建てられていたものを、現在地に移築したそうです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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