(あしあと その602・北区の64・新川の3)
琴似栄町通から新川沿いに走る右岸の新川通を南進すると、河畔側の歩道に大きな石碑が建てられているのが見えます。
札幌軟石でできた台座の上に建てられた碑の碑面には、「力士若勇(わかいさみ)碑」と大きく刻まれたその両側に、「大正十年七月建」、「前谷省三」と添えられています。
上台の正面には「發起者」の氏名が刻まれ、その周囲には、札幌、軽川、焼山などの地名と、寄附者の氏名が並んでいます。
碑の脇には説明板が立てられ、それには
「力士若勇碑
かつての新川地区は純畑作農村で、当時村人によって収穫時に祭典が行われた。その主要行事の一つに奉納相撲があった。
この碑の「若勇関」は、大正2年(1913年)、25歳で富山県から本道に来て琴似村新川地に住居を持った。本名を前谷省三といい、素人相撲ながら大関を張り、その豪快な取り口は人々の話題をさらったと言われている。また「若勇関」は、当時としては大型の農業を営み、新川地区の農業の基礎を作ったとも言われている。
農民として、また力士としての功績を称えたのがこの「力士・若勇碑」である。大正10年(1921年)、相撲を引退した記念に建てられた。」
と記されています。
若勇関は、身長170センチ、体重100キロほどの体格であったといわれ、決して大柄ではないながらも、その取り口は豪快で話題の力士であったそうです。
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