(あしあと その763・豊平区の89・豊平の15)
豊平のかつての定山渓鉄道の豊平停車場があった国道36号沿いに、新しい説明板が立てられました。その場所は、市電豊平線の引込線跡である変則形状をした道路に囲まれた緑地帯の中です。
金属製の大きな説明板の上部には、右から順に
「昭和5年 旧豊平駅前と定山渓温泉宣伝キャラバン(株じょうてつ提供)」と題された白黒写真
「昭和二十九年頃の市電豊平駅付近」と題された略地図
「昭和44年 市電豊平線豊平駅と横断歩道橋(札幌LRTの会提供)」と題された白黒写真
が掲げられており、その下の右側には、
「豊平駅前今昔
安政四年に室蘭街道が開削され札幌開拓に伴い豊平地区の居住者が増え、大正七年には定山渓鉄道が開通し現在の豊平六条に豊平駅が開業したことで、木材等の集積地及びターミナルとしての豊平地区繁栄の礎が築かれた。
昭和四年に駅舎を豊平四条九丁目に移転するとともに電化され高速化と大量輸送が実現した。同時に市電豊平線が豊平駅前まで延長され札幌中心部と人々の往来が増え豊平地区が益々賑わうこととなった。
一方、自動車が増加し市電乗客の安全のため電停と歩道を結ぶ横断歩道橋が設置されたが、乗客の減少により昭和四四年に定山渓鉄道が、昭和四六年には市電が廃止された。
室蘭街道は戦後舗装され弾丸道路とも呼ばれ、現在一日に六万台が往来する道内有数の交通量を誇る国道となっている。
本年豊平地区町内会連合会は創立五十周年を機に豊平駅が地域に果たした功績を後世に残すためこの記念碑を建立する。
平成三十年十月 豊平地区町内会連合会」
と記され、左側には、
「安政4年(1857) 幕府の命により札幌越新道の星置から島松までの道路開削を阿部屋伝次郎が請負う。
明治2年(1869) 札幌の開拓がはじまり豊平橋より室蘭街道沿いに居住者が増えていった。
大正7年(1918) 定山渓鉄道開通。札幌市内に路面電車開通。
大正13年(1924) タイドアーチ型豊平橋が完成し、豊平地区に路面電車延長される。
昭和2年(1927) 札幌市が路面電車事業を買収。
昭和4年(1929) 定山渓鉄道電化、豊平駅を4条9丁目に移転。市電を豊平駅前まで延長。
昭和24年(1949) 蒸散系が支笏洞爺国立公園に指定される。
昭和25年(1950) 市電豊平駅前停留場を駅前広場引込線に設置される。
昭和41年(1966) 国道車両の増加により再び停留場を国道に移設する。 北海道初の横断歩道橋を8丁目国道に設置する。
昭和44年(1969) 定山渓鉄道が電車事業を廃止。
昭和46年(1971) 市電豊平線廃止になる。
平成27年(2015) 8丁目横断歩道橋撤去される。」
と、豊平停留場周辺に関する略年表が記載されています。また、末尾には「資料提供 郷土歴史家 中川昭一氏」と記され、説明板上部に掲示された写真等の資料が、地元の郷土研究家によるものであることが示されています。
定山渓鉄道旧豊平停車場であり、じょうてつ本社として使用されていた建物の跡地には、現在はマンションが建てられています。
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