「札幌妙見尊霛場」碑。

(あしあと その904・東区の43・本町の12)

本龍寺の山門の脇にある自然石でできた石碑が「札幌妙見尊霛場」碑です。「霛」は「霊」の異体字になります。

碑面には大きく「島判官守護神 札幌妙見尊霛場」と刻まれています。

碑に向かって左手に由来が記された説明板が立てられており、そこには次のように記されてます。

「札幌の妙見さま由来

当山の妙見堂に奉安する妙見大菩薩の尊像は、右手に剣を持つ高さ約二寸の小さな木造で、「札幌きりひらき」の二恩人と仰がれる開拓幕吏大友亀太郎翁と初代開拓使島義勇判官が「札幌創建の心願成就」を祈願した尊い開拓開運の守護神であります。

慶応三(一八六七)年、創成川大友堀を開創し、札幌村開拓の首導者となれる幕吏大友亀太郎翁が、開拓の激務・心労のため、病魔に倒れるも、島判官の兜の八幡座に安置されていたこの妙見大菩薩を信仰し、眼病はもとより、病気平癒し、身体健全・開拓成就・所願成弁の利益を賜りました。

よって、慶応四年(一八六八)年、島判官をはじめ、多くの開拓民が、心を合わせて、妙見堂を建立し、この尊像を奉祭しました。

爾来、春風秋雨、すでに一百数十余年、札幌最古の霊場史蹟として世に知られ、「札幌うぶすながみ」の信仰がよせられて、多くの祈願する人々をして、必ず心願を成就せしめ、霊験は愈々あらたかであります。

八月一日二日の例大祭には、開拓者の慰霊供養、札幌住民の家内安全を祈願し、奉賛会による、すもう、みこし、もちまき、演芸・福引などで、にぎわい、夏の風物詩をおりなしています。

(行事略)妙見尊奉賛会」

高さ二寸の大きさというと、約6センチという掌の上に載るくらいの小さなものになります。この妙見大菩薩像は、境内の中に建てられた妙見堂の中に安置されています。




「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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