「十軒神社 旧社号標」。(あしあと その490・北区の49・篠路の21)開拓初期に南部藩から入植した10戸から始まった篠路町上篠路の十軒地区。ここにある十軒神社の真新しく建てられた鳥居の脇に、かつての鳥居の一部と思われる石柱が無造作に残されていて、そこに旧社号標が半ば埋められた状態で残されています。24Mar2017〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里信仰の碑
「第一鳥居奉納者芳名」碑。(あしあと その489・北区の48・篠路の20)篠路神社の参道脇に建つ「第一鳥居奉納者芳名」碑。碑の上部に「第一鳥居奉納者芳名」と浮き彫りがされ、その下に多数の氏名が並んで刻まれています。19Mar2017〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里信仰の碑
「御造營記念碑」。(あしあと その488・北区の47・篠路の19)篠路神社の鳥居をくぐって境内に進んだ左手にあるのが、「御造營記念碑」です。自然石を積み上げた台座の上に、白御影石でできた石板が置かれ、碑面には次のように刻まれています。「御造營記念碑 篠路神社由緒畧記御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 保食大神(うけもちのおおかみ) 品陀別大神(ほんだわけのおおかみ) 烈々布天満宮 大正神社 山口金刀比羅宮 拓北伊夜日子神社由緒徳川末期 幕府は箱館に奉行所を設け、東蝦夷地と千島を直轄する傍ら、道央内陸部の警備と開拓のため石狩調役以下を置いたが、安政二年、幕臣荒井金助直盈が幕命をうけて從者十二名を卆い、北辺警備のために移住して篠路村の基を開き、小...18Mar2017〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里信仰の碑
「平和顯彰碑」と副碑。(あしあと その487・北区の46・篠路の18)篠路神社の境内にある「平和顕彰碑」。高さ2.6メートルの台座の上に、高さ1.8メートルの硬石が置かれた立派な石碑です。碑面には大きく「平和顯彰碑」と刻まれていますが、元は「忠魂碑」と彫られていたものを削って彫り直したことから、以前よりも碑石が薄くなっているそうです。17Mar2017〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里慰霊の碑