「白石のリンゴ園跡」。

(あしあと その333・白石区の13・東札幌の1)

市道米里行啓通と南郷通の交差点を、国道12号方向に向かったすぐ右手に、きよみず公園という児童公園があります。その公園の入り口に、2つの説明板が建てられています。向かって左側の説明板には、その周辺が「白石のリンゴ園跡」であることが記されています。

説明板の左上には、「明治40年頃の津田苹果(りんご)園(現在の地下鉄白石駅付近)」という解説がある白黒写真が、その下には、「大正5年版の5万分の1地形図に表された果樹園の分布」という解説が付され、水色の色分けがされた白石周辺の地図があります。

その右側には、

「白石のリンゴ園跡

リンゴが日本に入ってきたのは鎌倉時代だが、本格的には明治4年(1871)に東京の開拓使がアメリカから輸入した果樹の栽培に始まる。明治6年にはそれを開拓使札幌庁舎の果樹園に移植し、明治8年から20年までに無償・有償でナシ、リンゴ、桃、アンズ、スモモ、サクランボ、梅、ブドウの苗木671,600本を開拓者に配布し、白石村にも25,474本が配布された。

なかでもリンゴの栽培が普及し、白石では豊平川付近から現在の地下鉄白石駅付近までリンゴ園が広がった。リンゴはロシアなどに輸出され、リンゴ景気にわいた一方で病害虫に悩まされ、廃園する者も続出した。戦後の混迷期にもリンゴは売れたが、昭和25年(1950)に札幌市と合併してから宅地化が進み、白石果樹組合は昭和35年に解散した。」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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