「横町通(札幌本府通)=現・米里行啓通」。

(あしあと その334・白石区の14・東札幌の2)

きよみず公園の「白石のリンゴ園跡」の説明板の右側に並んで立っているのが、「横町通(札幌本府通)=現・米里行啓通」の説明板です。

説明板の左側には、かつてのこの地域の周辺図が掲げられ、「明治29年の5万分の1地形図。札幌本府通の一部が横町通と呼ばれた」と添えられています。その右半分に開設があり、それには

「横町通(札幌本府通)=現・米里行啓通

旧暦明治4年(1871)11月に旧仙台藩白石城主片倉小十郎の元家来たちが入植し、現在の国道12号の中央1条1丁目の跨線橋付近から白石神社までの間に住み着き、道の両側に1番から50番まで区画割りをした。しかし翌春、左右1番から7番までの区間が雪解け水で浸水し、居住地として適さないことがわかった。

そのためこの間の18戸は、国道12号から横に入った札幌本府通沿いに移り住んだので横丁と名付けられた。札幌本府通は明治5年5月には豊平村の今の国道36号まで延長されたが、横丁を通るこの区間は横町通とも呼ばれるようになった。

なお、この横町通を主な生活道路として利用した集落を、行政的に横丁(後に横町)と呼んでいたが、昭和35年(1960)3月31日付で町名を東札幌と改正したことにより、長年使用された横丁・横町の名称はなくなった。」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(東部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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