(あしあと その339・白石区の19・平和通の1)
環状通と交差する平和通を東方向に進むと、右手に白石温水プールの建物があります。その駐車場に沿って市道を右折すると、プールの建物の壁際に小さな石碑と説明板が見えてきます。
石碑は白御影石でできており、碑面に「白石中央墓地跡」と刻まれています。
碑の背面には、
「この地は、明治5年に設置され、以来諸霊を祀ってきたが、昭和47年11月19日、墓主らの協力を得て、静寂の地である里塚霊園へ移転改葬されたものである。
昭和47年11月19日 札幌市」
と刻まれています。
石碑の左側には説明板が立てられており、その左側には、「昭和33年の中央墓地の墓参り風景」と解説のある白黒写真と、「明治5年に開拓使に提出した嘆願書」と解説された文書の写しが掲げられています。その右側には、
「白石中央墓地跡
旧仙台藩白石城主片倉小十郎の元家来たちは、自分たちが開墾した土地と札幌本府が繁栄する様子を、死後も一望できる場所として、望月寒川右岸の火山灰丘陵地を墓地に選んだ。旧暦明治5年(1872)2月27日に開拓使貫属※の墓地として造成の許可を得、同じ年の7月に開設した。
大正11年(1922)、隣接地に上白石墓地から墓が移転し、昭和47年(1972)に合計587基の墓が里塚霊園に移転するまで、約100年にわたり墓地(面積12,809平方㍍)として使用された。
※開拓使貫属=武士の身分を失わずに北海道の防備と開拓に従事する人」
と記されています。
新しく墓地を設置するにあたり、当時のこの土地は平地から急に高台になった曲がりくねった地であったため、畑にする見込みがないことから選定されたようです。
昭和40年代に入って急速に都市化されたことから、昭和41年に区画整理が始まったことをきっかけにして、墓地の一部が平岸霊園に移転改葬され、その後昭和47年になって全地が移転改葬されました。
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