(あしあと その494・北区の51・新琴似神社の2)
新琴似神社の一角に並ぶ石碑の一つが「新琴似兵村記念碑」です。仙台石で造られた碑は、高さ約5メートル、厚さ約30センチメートルの堂々たるものです。
碑面の上部には、「開拓警備」と浮き彫りがされており、その下には次のような漢文が刻まれています。
「新琴似兵村記念碑 正三位勲一等男爵佐藤昌介題并撰
寛政以降鄂虜鴟張頻侵掠蝦夷蝦夷實爲我北門鎮鑰苟一旦失其守危機之及本洲葢大也幕府於是乎遣吏卒以戒守備焉既而國勢一變王政復古 明治天皇庶政更張之初先降蝦夷開拓警備之詔宸慮深遠可以知焉耳尋明治八年施屯田兵制我兵村係同二十年之設置福岡其他七縣下之士族奮然應募練武拓地以期報效日清之役當近衛留守隊重任日露之役參加旅順攻撃軍或戰北諱之野其功有不可没者今茲丙子五月當開村後五十年有志胥謀欲建碑以爲記念来請余文余喜内富國力外揚皇威志氣固剛堪因厄忍寒苦以貢献韶運能奉答聖乃叙一言如此
本兵村属屯田兵第一大隊號第三中隊明治二十五年爲豫備役同二十八年爲後備役然其間服軍務無所異現役
日露之役參加出征者將兵八十有三人内戰死者特務曹長小野大吉砲兵伍長小山繁七歩兵上等兵椎木岩彦田中徳太郎同一等兵中村保鷹山下繁太郎村上稔
本兵村自現役之時用力于自治而敎育衛生警備交通勸業等不賴地方廳自設者多矣
明治二十年應募熊本縣四十一戸福岡縣四十四戸岡山縣十戸佐賀縣四十戸鹿兒島縣十一戸計百四十六戸
同二十一年應募大分縣十九戸徳島縣十七戸佐賀縣二十一戸福岡縣十一戸岡山縣三戸島根縣一戸計七十四戸 合計二百二十戸
十一年五月 仙臺 山本華堂書 石慶龍鐫」
碑の背面には、「開村者氏名」として220人の氏名が刻まれています。
碑の近くに立てられている説明板には、次のように記されています。
「新琴似兵村記念碑
新琴似地区は、明治20年(1887年)、屯田兵の入植によって開かれた地で、開村50年を記念して昭和11年(1936年)に建立された。
既に開村5年を記念して建立した「新琴似開村記念碑」が神社の東側にあったが、永年風雪にさらされて、文字の解読も困難になったところから、新たにこの碑を建立したものである。
札幌硬石の外柵を巡らしコンクリートの基礎、この上に幅3.5メートル、高さ42センチメートルの仙台石を台座として、高さ5.3メートル、幅2.17メートル、厚さ30センチメートルの板石を建てている。
裏面には、入植屯田兵220名の氏名が刻印されている。」
新琴似神社の社殿横に建てられている新琴似屯田兵中隊本部の建物内の壁には、この石碑を背景にした白黒写真が2枚掲示されています。
1枚は、「開村50年記念碑(昭和11年5月20日建立) 碑の後ろには畑が広がっていました。現在の様子とは大きく違います。」というキャプションが付けられたものです。
もう1枚には、「開村50周年祭典委員(昭和11年)」のキャプションが付けられています。
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