「半鐘と番屋跡」。(あしあと その332・豊平区の48・中の島の3)中の島の市道中の島通沿いにある尚志学園高等学校。その敷地内の北外れの一角に説明板が立てられています。それは、ここがかつて防災の拠点であった「半鐘と番屋跡」であったことを示しています。29Feb2016〇豊平区の石碑平岸・中の島・西岡・羊ケ丘・福住行政の碑「とよひらふるさと再発見」
「氷池跡」。(あしあと その331・豊平区の47・中の島の2)中の島2条6丁目と7丁目を分けて市道白石藻岩通が東西に走っていますが、平岸と中の島の境界は河岸段丘となっており、その段丘に沿って精進川のせせらぎが流れています。この辺りの精進川の周辺は河畔公園として整備されており、白石藻岩通沿いに「氷池跡」の説明板が立てられています。28Feb2016〇豊平区の石碑平岸・中の島・西岡・羊ケ丘・福住産業の碑「とよひらふるさと再発見」
「山本用水記念碑」。(あしあと その319・厚別区の6・厚別の6)山本稲荷神社の境内に建つ「山本開基百年記念碑」の右隣に建つのは、黒御影石でできた「山本用水記念碑」です。碑は大小二基になっており、その碑面には、「山本用水記念碑山本用水のあゆみ大正八年、部落民全部の水田と飲水のため厚別川から取水して利用したのが始てである。昭和十九年、当時の地主山本厚三氏名義の用水路を戦後の農地解放を待たず低廉な価格で小作人五十七名に名義変更していち早く小作人の自立の道を開いた。昭和二十年より山本用水組合を設立し、管理運営につとめ現在に至る。これら先人の努力によって水害や冷害など幾多の困難を乗り越え、土地改良との闘いを続けてきた山本地区は美田として生まれ変わったのである。...04Feb2016〇厚別区の石碑厚別・上野幌・大谷地産業の碑
「山本開基百年記念碑」。(あしあと その318・厚別区の5・厚別の5)厚別西の閑静な住宅街に囲まれた山本稲荷神社の鳥居を抜けてすぐ左手に、黒御影石で作られた立派な石碑が大小二基並んでいます。03Feb2016〇厚別区の石碑厚別・上野幌・大谷地開基の碑
「馬魂碑」。(あしあと その317・厚別区の4・厚別の4)山本稲荷神社の境内にある「馬魂碑」。玉石が積まれた台座の上に、自然石でできた碑が載っており、碑面には大きく「馬魂碑」と刻まれています。02Feb2016〇厚別区の石碑厚別・上野幌・大谷地馬頭の碑