(あしあと その393・白石区の20・本通の3)
白石区の本通2丁目北にある住宅地の一角に、斜め通りに面して児童公園があります。白中(はくちゅう)公園と名付けられた公園の植垣に、説明板が立てられています。
それには、「昭和19年建築の陸軍官舎」という説明が付された白黒写真と、その右に次のような解説が記されています。
「陸軍官舎
昭和19年(1944)10月、現在の白石区役所付近を中心とした約4万㎡に、樺太・千島など北方戦線への兵器などの供給のため、北海道陸軍兵器補給廠(ほきゅうしょう)ができた。
この兵器補給廠に勤める兵士のためこの土地に、付近の土地割とは45℃北へ回した真南向きに、陸軍中佐をはじめとする将校官舎13戸、下士官などの将兵住宅32戸、計45戸の陸軍官舎が建築され、棟の間にはそれぞれひとつずつの井戸もついていた。
さらに、白中公園の地にあった2棟を廊下でつないだH型兵舎には、兵士50名ほどが駐在しており、これら住居者の熱望により、畳み3枚ほどの簀子(すのこ)を踏み板とした角形の五右衛門風呂の浴場が、軍隊の手により開設された。
官舎の区域全体が柵で囲われ、庇には独特の飾り板もつけられ、外壁はドイツ式の下見板、窓ガラスは横長の板ガラスで4段×2列の戸2枚が1部屋の枠組にあった。
終戦でその多くの家族が移転したが、それは兵士の4分の1が本州方面、4分の1が道内各地から来た人々であったためであろう。」
地図を見れば一目瞭然ですが、この周辺の地域一帯が碁盤目状に区画されているのに対し、白中公園のから南にかけた一角だけ斜め通りによって区分けされていますが、その理由は大戦にありました。
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