「開拓記念碑」と副碑。(あしあと その215・白石区の3・北郷の1)白石区米里にある米里中学校から東側の札樽自動車道を挟んで対称する位置にある、あまり大きくない閑散とした交差点附近に、中央バスの「白石開拓記念碑前」というバス停留所があり、その交差点の角の空き地に大きな石碑が建っています。これが、北郷の開拓百年を記念して建てられた「開拓記念碑」です。28Jun2015〇白石区の石碑北郷・米里・川下開拓の碑
「月寒開基百年之碑」。(あしあと その204・豊平区の24・月寒公園の3)月寒公園のボート池をぐるりと回って小高い丘を上がったところに、「月寒開基百年之碑」が建っています。13Jun2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園開基の碑
「北光星第八句碑」と副碑。(あしあと その203・豊平区の23・月寒公園の2)月寒公園の高台野球場から北東に向かうと、遊歩道の脇に「北光星第八句碑」と副碑があります。10Jun2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園文芸の碑
「芥子澤新之介歌碑」。(あしあと その202・豊平区の22・月寒公園の1)豊平区役所の東側に、羊が丘通を挟んで広がる広大な月寒公園。ここは、かつての大日本帝国陸軍第7師団歩兵第25連隊の演習場でした。今では野球場やグラウンド、ボート池などが整備されて、豊平区民のみならず札幌市民の憩いの場となっています。公園の一番南側に高台野球場がありますが、その駐車場の近くに新しく整備された芝生の一隅あるのが、自然石でできた「芥子澤新之介歌碑」です。09Jun2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園文芸の碑
「地神碑」。(あしあと その201・北区の14・篠路の9)この場所で最後に紹介する碑が、五角柱の「地神碑」です。札幌市内に十数か所ある五角柱の碑は、四国から入植した人たちが建てたものと言われています。08Jun2015〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里地神の碑
「興産社取締役原氏之碑」。(あしあと その200・北区の13・篠路の8)興産社を興した滝本五郎氏の功績を讃えた「報(頌)徳碑」の右手前にあるのが、「興産社取締役原氏之碑」です。札幌軟石でできた碑の碑面には、「興産社取締役原氏之碑」と刻まれています。07Jun2015〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里人物の碑「歴史と文化の八十八選」
「報(頌)徳碑」。(あしあと その199・北区の12・篠路の7)「北海道百年記念」碑の後方に鎮座するのが、「報(頌)徳碑」です。石燈籠を2基備えた奥に建てられた碑石は、小樽市銭函にあった自然石でできており、高さは約2.5メートル、台座を含めると約3メートル強の高さになる立派なものです。碑面の上部には、「報徳碑」と記された金属板がはめ込まれています。06Jun2015〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里人物の碑
「拓北記念碑」。(あしあと その197・北区の10・篠路の5)「宮西頼母歌碑」の左隣に並んでいる自然石でできた石碑が「拓北記念碑」です。碑面には大きく「拓北記念碑」と刻まれ、その左脇には碑文の揮毫が「北海道知事 堂垣内尚弘」によるものであることが刻まれています。02Jun2015〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里開拓の碑
「宮西頼母歌碑」。(あしあと その196・北区の9・篠路の4)「興産社の馬頭観世音」からさらに西方向に向かうと、交差点の一角に石碑が立ち並んでいるのが見えてきます。この地は、興産社町内会会館の東側に広がる敷地で、新旧の石碑や記念碑がここに集められています。立ち並んだ碑の向かって一番右側に位置する碑が、「宮西頼母歌碑」です。01Jun2015〇北区の石碑篠路・拓北・茨戸・あいの里文芸の碑「歴史と文化の八十八選」