「艱盤快な梨」碑。(あしあと その237・豊平区の35・月寒の6)つきさっぷ郷土資料館の敷地に並んだ碑の一つである「艱盤快な梨(艱は快なり)」碑。自然石に刻まれた筆太の文字は、初めはなんて書いてあるのか読み取れず、紹介するのを控えていました。図書館で数々の資料を調べてみると、1つの資料にこの碑のことを詳しく紹介しているのを見つけました。31Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園戦役の碑
「阿部與之助表懿徳碑」。(あしあと その236・豊平区の34・月寒公園の8)月寒公園内のかつてパークゴルフ場であり、現在は散策路に整備された敷地に、巨大な自然石の碑があります。これが「阿部與之助表懿徳(あべよのすけのいとくをひょうする)碑」です。29Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園人物の碑「とよひらふるさと再発見」
「開町五十年記念碑」。(あしあと その235・豊平区の33・月寒公園の7)「吉田善太郎功労碑」の左に位置するのが、「開町五十年記念碑」です。この碑も鎖に囲まれた敷地の中央部に建っているため、遠目では碑面の文字が判然としません。資料によると、碑銘の「開町五十年記念碑」の脇に、「北海道庁長官 笠井信一」と刻まれているそうです。27Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園開基の碑
「吉田善太郎功労碑」。(あしあと その234・豊平区の32・月寒公園の6)月寒神社の境内に沿った月寒公園の敷地には、以前はパークゴルフのコースが設けられていましたが、最近公園内の整備が行われて散策路や芝生に代わり、その一隅に巨大な碑が2基並んで建っています。26Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園人物の碑「とよひらふるさと再発見」
「月寒「忠魂碑」」。(あしあと その233・豊平区の31・月寒公園の5)月寒神社の社殿近くに、がっしりとした石積みの台座の上に、ひときわ大きな自然石でできた碑が建っています。これが、日露戦争で散った豊平町出身の兵士たちの霊を慰めるために建てられた月寒「忠魂碑」です。25Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園戦役の碑
「永遠の像」。(あしあと その232・豊平区の30・月寒公園の4)月寒公園の碑に戻ります。ボート池から小道伝いに小高い丘を登ると、「月寒開基百年之碑」のそばに白亜の人物像が建っています。23Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園行政の碑
「歩兵第25連隊将校集会所、豊平町役場」。(あしあと その231・豊平区の29・月寒の5)通称アンパン道路から国道36号に出ると、その反対側につきさっぷ中央公園があります。この公園の歩道側に、ここがかつて「歩兵第25連隊将校集会所、豊平町役場」であったことを示す説明板が建っています。21Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園行政の碑
「豊平町役場跡」。(あしあと その230・豊平区の28・月寒の4)国道36号の月寒中央通6丁目から、通称アンパン道路を入ってしばらく進んだ右手に、月寒児童会館の建物があります。18Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園行政の碑「とよひらふるさと再発見」
「聖蹟」碑。(あしあと その229・豊平区の27・月寒の3)昭和16年に、旧陸軍北部軍司令官官邸として建てられたつきさっぷ郷土資料館の敷地内に、いくつかの石碑が置かれています。16Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園皇室の碑
「石倉と門柱」。(あしあと その228・豊平区の26・月寒の2)札幌市月寒体育館の東側の市道を一町ほど都心部方向に進むと、住宅街が広がる右手の広大な空き地の一角に、札幌軟石でできた「石倉と門柱」があります。15Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園開拓の碑
「一里標跡」。(あしあと その219・豊平区の25・月寒の1)都心から国道36号を東に向かい、環状通との交差点を越えると緩やかな登り坂になります。その坂の途中で望月寒川を渡りきった南側の歩道脇に、説明板が建てられているのがわかります。04Jul2015〇豊平区の石碑月寒・月寒公園・美園交通の碑「とよひらふるさと再発見」
「板橋地区跡」。(あしあと その217・白石区の5・北郷の2)東米里にあったゴミ処理場の跡地に沿って走る市道。江別市大麻から西方向に向かい、道央自動車道の高架をくぐってしばらく走ると、右手に十数本の雑木林が目につきます。02Jul2015〇白石区の石碑北郷・米里・川下開拓の碑「白石歴しるべ」